キャンプ場のナウシカ



















先日、旭川に帰省して1泊だけ実家に泊まった。

今の実家には、父親が再婚した女性と暮らしている。
かつて育った家にノスタルジーは感じるけれど、
昔自分が住んでいた家とは少し違う雰囲気がする。

中高生の頃は、父親はあまり家にいなくて
母親と二人きりの時間が多かった。

僕の部屋からは学習机や
ベッドなど当時使っていた生活品は完全になくなり、
こうやってたまに帰ってきたときに
宿泊できるような簡易的な寝室になっている。

それはすこし淋しい気持ちになるので、
いつもはなるべく一泊だけ、
2日目以降は違う街にいったり、宿をとったりしている。

僕の部屋には僕がこれまでに
買ってきた本がずらりと本棚に並んでいて、
引っ越しの際に

新居に持っていくことができなかった本が並べられている。






































「たく、あの本どうする?」 と

時々父親から 暗に捨てていいかと尋ねられるのだが、

「そのままにしておいて」  と

 何度も延長宣言をする。

昔、買って読んだ本や買ったけど読んでない本、
買ったことも忘れていた本は
ある時、突然に違う意味合いで自分を魅了してくる。

帰省するたびに、本棚を眺めては

あ、まさに今この本が読みたかったんだと気づく。

眠ることもなく本を読んだり、これは埼玉へ持って帰ろうとカバンに入れたり

そこは自分にとって大事な、オリジナルな図書館になっている。


今回は意外とのんびりと時間があったので、
ベッドの下にあった自分が小さいころのフォトアルバムを見返していた。


本当に小さい頃の幼児の写真はあまり面白くないが、

小学生の頃の写真は記憶もあるし、

やっと幼い自分が客観的に可愛く思えてくる年になったので

微笑ましく見てしまう。


学校行事の写真、習い事の写真、キャンプの写真ー。

僕が小学生の頃は、
家族と母の友達夫妻とキャンプに行くのが夏の習慣だった。
毎年初夏になると、道内の各所のキャンプ場を旅行雑誌から探し出し、
今年はここへ行こうなどと家族で話していた。

ムックに掲載された小さな数枚の写真からイメージを膨らませ、
はやく夏休みにならないかと、ただただ楽しみにしていた。
実家にはキャンプ用品がたくさんあった。
それをウィングロードの後部座席に積み込み、何時間もかけて行く。


あの頃のワクワク感は今でも覚えている。
僕には兄弟がいないし、友達の夫妻にも子供はいなかった。

僕はあまり子供同士で遊ばせられることは少なく、
いつも大人だらけの場にちょこんと座れせられて
よくわからない話を聞いたり、たまに会話に入る。
自分がこういう性格なのは、同年代の子供たちと遊ぶより
両親やその友人など、大人と話す時間が多かったからかもしれない。


いつも自由にのびのびと楽しんでいた。
誰も僕を変に子供扱いしなかった。 思い出しても幸せな時間だ。

決して、両親は仲がいい夫婦だったとは言えなかったかもしれないけれど、
あの時だけは家族3人が揃い、家族らしい時間を過ごした。




















全てが楽しい記憶で、まだ悩みなんか何もない小学生の頃だった。
あれは、どこのキャンプ場だったか、
何年生の夏だったか思い出せないけれど
ある夏のキャンプ場の1日目、日が暮れかかった夕方。

僕は車酔い体質なので、着く頃には結構フラフラで、吐きそうになる。
その時も着いてすぐに、ひたすらキャンプ場を一人で歩き回っていた。

空気をたくさん吸うことで、気分がだいぶよくなるからだ。
キャンプ場の隅っこに、変な入り口を見つけてそこへ入り込んだ。


木製の椅子が並んでいて、前にスクリーンが張られていた。
僕はそのどこかに座り込んで、しばらくすると映画上映が始まった。

記憶が鮮明でないけれど、たぶん僕しか人はいなかったし、
誰が上映しているのか、何で上映されているのかもわからなかった。

『風の谷のナウシカ』の上映が始まった。
僕はその時、ナウシカを見たことがなかったし、映画の題名しか知らなかった。

正直に言うと、結構退屈して、30分ほど見たところで
僕はそこから立ち去って、家族の元へ戻っていった。


ほとんど思い出すことのなかった記憶だけれど、
大学生になり、熱狂的に映画を見るようになってから、たまに思い出す。
思い出すといっても、本当にぼんやりとした記憶で、半ば夢のような思い出だ。


当時は今のようなプロジェクタもないし、おそらく16mmのレンタルフィルムで
キャンプ場の人なのか、誰かが上映をしていたのだろう。

僕はチケット代を払ってないし、

他に見に来ていた人もいなかった気がする。

それが少し怖かった。

今思い返すとすごく贅沢な体験だし、全編見ておけばと思うが。
それでもあの時の野外に投影された映画に
不思議なドキドキ感と神秘性を感じた。


それから、僕は成人し、会社に勤める働き人になった。
社会人になって1年がたった頃、休日に自主上映を始める。

新さっぽろの昔映画館だった現・貸館をレンタルして、
ノースシアターという自主上映を始める。

















4年間で7回ぐらいはやっただろうか。
会場のレンタル代や上映料金や準備までの経費を含めると、
黒字でやるというのは難しいことだった。


一緒に上映会を開いてくれた
大先輩の白石さんの援助なしには7回もできなかった。












(第1回ノースシアター)



けれど、上映会に来てくれた人たちが映画を見終えた後に
映画について普通に語らったり、
ゲストを招いてトークイベントをやったり、
昔の2本、3本立て形式での上映をしたり、
自分が理想に思う映画館を数日限りといえ、
開くことができたから、僕は充分にしあわせだった。

ドキュメンタリーや社会派な映画をかけることが多かったから
年配の人が見に来てくれて、
何度か来てくれたり、手紙のやりとりもした。
普通であれば僕が出会うことができなかった人たちである。


去年、僕は転勤が決まり、職場は道外になった。
なかなか道外に住みながら、北海道で自主上映をするのは難しい。
一応ノースシアターは最後になるかもしれないなと思った。


僕が北海道を出た2ヶ月後に、白石さんが一人で上映会を開いた。
僕はイベントのチラシをポストカードにして、常連さんにハガキを出した。
転勤が決まりもう北海道にいないことや感謝も書いた。


それから少しして、何名の方からかお返事をいただいた。
本当に嬉しいお手紙だった。


その中の一通に、差出人の名前が書いていないハガキがあった。
僕は20数名に書いているので、どなたの返事かわからない。



“慣れぬ暑さと違う環境のなか、まだまだ若く時間もあるし
いろいろな体験を自分への肥料として楽しく暮らせますように
30年ほど前、田舎の離島で子供らに宮崎駿のナウシカ他
映画上映活動をしていた日々は今でも想い出し糧のひとつです。

ノースシアターも淋しくなるけれど 又どこかでいつか…
若い人たちが少しでも希望をもてて生きていけるよう 
身体くれぐれも気をつけてね”


僕はハガキを読み終えて、玄関で立ち尽くしていた。

僕はもしかしたら、
この人が巡礼上映していたナウシカを観ていたのかもしれない。

30年ほど前ではないし、離島でもないけれど、
数年間道内各所で巡回していたとしたら。

あの時のわずかな体験は、僕に

映画の不思議な雰囲気、
少し怖いけれど魅力あるムードを教えてくれた。

僕はその後さらに映画に夢中になり、映画の仕事をして
それだけでは飽き足らず自主上映も始めた。

そこにあのナウシカを上映した人が見に来てくれて、ハガキをくれる。


出来過ぎた話じゃないか。





でも、僕はそのハガキを何度も読みながら

これまで発したことのない心のどこかから、笑い声をあげた。

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