北上、朝のかすみ
東京で遊ぶと、埼玉の家に帰るには終電が早い。
吉祥寺のドイツ料理屋で久しぶりに友人とお酒を飲んで、
僕らは23:45頃の中央線に乗り込んだ。
僕は立川方面へ、友人は東京方面へ。
数時間は話したわけだけど、
久しぶりに会い、次いつ会うかわかるかわからない時
駅のホームで話す締めの会話というのは難しく、
どうも駆け足で、決まりの悪い感じになってしまう。
僕は明日も休みだし、無理してもう少し一緒にいることもできた。
どうしようかなとそんなことを考えながら
一応別れるていでする話はとてもおさまりも悪い。
お互い電車に乗り、扉が閉まって次の駅に着く頃
僕はその人にLINEをした。
「今から次の駅で降りて引き返すから
高円寺でグッナイ小形の路上聞きに行こうか」と。
会って話してる時には提案する勇気がないことが、LINEではできた。
僕は三鷹駅で降りて、東京方面に乗り換える。
高円寺の駅に着いて、小形が来るのを待って、歌を聞いた。
2020年に入って、小形と会うのは初めてだった。
高円寺に来たのも、東京に来たのも3月ぶりだ。
僕は高円寺に来ると疲れてしまう。
あんまり喋らなくなるし、そんなに話にも乗れなくなる。
路上の後に3人で入った居酒屋でKANの「愛は勝つ」が流れた。
その少し後に「Sunshine of my heart」という
シングルではあるが、極めてマニアックなKANの曲が流れ、
僕はとても気分がよくなった。それでも頭が少し痛い。
深夜2時頃、僕と友人とグッナイは居酒屋を出た。
彼らが帰らなくてはならないのはわかっていたし、
人の家に泊まるのは苦手なので、
僕は始発までのあと3時間をどうしようか考えていた。
とりあえず一駅となりの阿佐ヶ谷駅まで歩いた。
すぐ着いてしまう。
このまま帰り道に沿って、中央線を進んでいこうか。
始発の頃に着く駅から乗ろうかと思い、僕は地図を見た。
阿佐ヶ谷からみて僕の家は北東にある。
でも僕が中央線沿いに進むのは、西の方向である。
西国分寺で武蔵野線に乗り換えるために、
わざわざ家と真逆の方に進むのだ。
それはなんだかなあ。
3時間歩いても、
それを電車であっという間に逆方向に帰って来ることになる。
僕は思い切って、北に進んで、
武蔵野線沿いにある駅にぶつかるところまで行くことにした。
GoogleMapで調べたら、
「北朝霞駅」が15km先にあった、徒歩3時間だという。丁度いい。
でもこれを決めるには覚悟がいる。
途中で、無理だと思ったところで、引き返すことはできない。
でも、なんか行ってみようと思った。
明日は休みだし、こんなに歩くことはないし。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
途中でユジク阿佐ヶ谷の前を通った。
コロナ前に最後に東京に来たのも
ユジクに「銀河鉄道の夜」を見に来た時だった。
また上映していたのか
そのポスターが貼ってあったので写真を撮った。
翌日、知ったけれどユジクはこの日をもってして
一時閉館したらしい。
夜中の東京の道は怖かった。
阿佐ヶ谷の住宅街は、とても狭くて静かで。
こないだ近所で少し怖い目にあったせいもあって、
危ない人というのは少なからずいる。
たまにすれ違う人が何かしかけてくんじゃないかと
怖くて、イヤホンは片耳外していた。
阿佐ヶ谷を抜けると、下井草に着く。
すれ違ったパトカーが、速度を落とした。
こんな時間に歩いている、僕が怪しいのだろう。
小雨が降っていた。
この雨がこれより強くなったら、どうしよう。
コンビニで傘を買うとしても、
僕は埼玉の朝霞までたどり着けるだろうか。
その後は井草。
コンビニで凍った飲み物を買って
体を冷やし溶かしながら水分補給をして歩く。
考え事をしながら、歩いていた。
とても辛いことを考えなければいけなかった。
最近ずっと心の調子が良くなくて、
それでも自分を元気にする兆しが見え始めたのに、
それを失ってしまったばかりだった。
石神井という町に入った、
杉並区からずーっと上がって練馬区に入る。
KANの曲で「練馬美人」という曲がある。
好きな女の子とデートをするけど、その女の子は練馬に住んでいて、
都心から彼女の家まで門限に間に合うように帰るには、
家が遠すぎて、いつもちょっとしか話せない、
それでもちゃんと君を家まで送るよという歌である。
北海道でその曲をよく聞いていた僕は、
練馬という街が東京の中で
どんなポジションにあるところなのかわからなかった。
「ここが練馬美人の、練馬区かぁ」
いろんな情感が湧き上がって来る。
確かに遠かった。僕はもう7、8km歩いていた。
大泉という看板が出始めて、住宅街の感じが少しだけかわる。
もしかしたら少しリッチな人が住んでいるところなのかもしれない。
右の通りを見ると少しだけ朝日が見え始めていて、
新聞配達のバイクもすれ違う。
携帯で自分のデモを聞いていた。
今年、作ってきた音楽をまとめてアルバムを作りたい。
でも、歌詞ができなくて、曲の方向が定まらない。
歩きながら、歌詞を考えていた。
僕は今本当に気分が落ちていたけど、
これを歌詞に入れておこうと思った。
何節かこれは使おうというフレーズを頭にとめた。
耳が疲れてしまうので、イヤホンで音楽を聴くのはやめ
充電が切れて地図が見れないと帰れないので、
携帯はカバンにしまった。
やっと埼玉の新座に入った。
そこからは長い長い自衛隊の駐屯地横を歩く。
正直、もうだいぶ身体が疲れていて、
考えたり何かをしながら歩く気力はなかった。
はっきりと明るくなったころ朝霞市に入る。
ここでまた雨が降り始める。
それでも足は止められないので、歩き続ける。
北朝霞駅まであと1kmぐらいで急に気分が悪くなる。
半年ぶりぐらいに急激な運動をした。吐き気がする。
運動不足な人が急に走ったり。
マラソンをすると吐き気を催すような感じ。
それでも足は動き続ける。
ずっと体が一定の速さで歩き続けていたから、身体が止まらない。
もう後普通に歩けば20分ごろで着くあたり
でいよいよ吐き気が増してきた。
タクシーがいれば、駅まででも乗りたいぐらいだが捕まらない。
吐きそうになると立ち止まったり、しながらゆっくり進む。
ここが一番辛かった。駅前でついても帰れない気がした。
電車の中で吐いてしまうのではないかと。
吐いてしまえば楽だったのかもしれないが、
もう明るいし、出勤前で人ともすれ違う通りだ。
吐いてしまおうと決断はできなかった。
頭はぼーっとしているが、駅まで着いた。
もう寝る以外には、自分を休ませてくれるものはない。
武蔵野線に乗って、すぐに座り、
もし吐いてもいいようにディスクユニオンの黒いレジ袋を片手に
自分の最寄駅に着くまでじっと耐え抜いた。
駅に着いた。
身体も心も疲れ果てて、誰とも会いたくない状態だった。
駅から家に行くまでがさらに辛くて、
太陽の日差しが本当に痛く、吐き気を増させる。
いつだって朝帰りで浴びる太陽は辛いが、
今の僕には有毒な光線だった。
なんとか耐え抜いて、家にたどり着いた。
もう大丈夫だ。
腹を決めてトイレの顔を伏せて、ゲーゲーいって吐こうとした。
何も出なかった。
シャワーを浴びて、体の汚れは全て落とす。
ドライヤーで髪を乾かすのも辛くて、頭にタオルを巻いて
そのままベッドへ。
吉祥寺で買ったカセットを流しながら眠りについた。
ーーーーーーー
起きたら、気分は良くなっていた。
もし、昨日高円寺に引き返さずに
そのまま帰っていたらどうだったろう。
でも多分引き返して良かったんだと思う。
友人は小形と出会い、
僕は練馬区を知ったし、歌詞も少しできた。
15km歩いてほとんど誰ともすれ違わなかったけど、
僕の行動は本当に危険ではなかったんだろうか。
電車で乗り換えれば、30分で着く駅へ
僕は3時間かけて吐きそうな状態で歩き続けた。
とにかく無事に帰ってこれて良かった。
冷静になって色々と思い返したら、またひどく辛い気持ちになった。
夕方の用事まで時間がある。
僕はまた眠りについた。

コメント
コメントを投稿