ラブ・イズ・オフライン

 

今はソーシャルサービスといえば、インスタグラムかTikTokだけれど、

僕が大学生の時は、フェイスブックだったし、

中高生の時は、モバゲーやミクシィ、前略プロフやホームページだった。


僕の世代で、同級生のみんなが

携帯をちゃんと持ち始めたのは中学2年の頃だったろうか。


中学生の時に、

同じ中学のクラスメイト数人で運営していたホームページがあったのだけれど、

こないだ久しぶりにそこへアクセスすると、そのHPを運営管理するサイト側が

「2020年9月をもって全ての管理HPを閉鎖することになりました」というバナーを出していて、

どうやら今月をもって、

そこに投稿していたものは全て消えてしまうようだ。





開設は2006年の11月というのだからかなり長く残っていた方だろう。

インターネット上といえども、永遠に全てが残るわけではない。


はじまりは、ちゃんと覚えていないのだけれど、

多分最初はこのホームページに僕は加入していなかった。


クラスメイトの男子の仲良しグループ数人が始めたのか。

僕はそのグループに属していたのかいないのか、今となっては微妙なところだ。


5、6人のグループだっただろうか。

彼らと僕は遊んでいた気もするし、

よく考えればそんなに遊んでなかった気もする。

たまに声をかけられるぐらいで、

5人でグループになるなら僕は呼ばれないような。


僕にとっては中学は本当に暗く、楽しい思い出はほとんどない。

彼らにとってはそこそこ楽しかったんだと思う。


彼らが久しぶりに会い思い出話をすると

半分ぐらいは知らない(もしくは楽しい思い出ではない)し、

半分ぐらいはそこに居合わせていた記憶。


そう思うと

僕は中学2年生ぐらいから仲のいい友達というのが一人もいなかった。


それに、好きな人というのも不思議と一度もできなかった。

まわりがいちばん彼氏彼女の話題で盛り上がる時期だったが、

僕はその話に自分の感情を移入して参加することはできなかったし、

そういう話をするような相手もいなかった。



だからそのサイトは

クラスメイトのホームページとしてたまに見るぐらい。

そう思い返すと

あの頃から人のそういうの見るのしんどかったよな。

「今日は遊んだよー」とか見ると、

自分は俺ばれなかったんだなとか思わなきゃならないし

(呼ばれても行かないのに、そういうことだけは感じてしまう)

そういう意味でSNSのいやなストレスを

僕はもうここ10年ずっと感じながら生きているのか。

そして、これは死ぬまで続くんだろうか。


それから中学を卒業して、高校に入り、

みんなが違う高校に散らばったぐらいの時に、

僕はこのHPのメンバーに入ったんじゃないかという気がする。

呼ばれた理由は覚えていない。


ネット上で「日記」のような投稿場所を久しぶりにもち、

言葉遊びや自分が思いついたナンセンスギャグのようなものをそこに書いていた。


高校を卒業した後や、社会人になった後にも、

思い出したようにそこに文章を書いたりした。


基本的にそんなに誰にも読まれない場所というのが、

妙に肩の力を抜いて書くことができる。



彼らの中では

僕はそういう、いてもいなくてもいい立ち位置なので、

特に誰からそんなに熱心に読まれるわけでもないけれど、

自分なりにはその「日記」は重要な自分のアーカイブスであり、

思考のアルバムのような場所だった。


中高生の頃に書いていたことは、

今読み返すとすごく稚拙だけど、それもまた自分なのだ。


14年間もサイトがあった割に

僕が投稿した日記はせいぜい200ぐらいだろうか。


たまに人づてに、

全然知らない人が僕の日記が好きで楽しみに読んでくれているとか、

あの日記が好きだとか聞くことがあって嬉しかった。





まあ消えてしまうとのことなので、

いくつか思い出深い投稿をパソコンのワードにコピーして、

ここにもたまに掲載していこうと思う。




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自分の中でも、好きな自分と嫌いな自分があるだろう。


汗かいて頑張っている自分が好き、

こういう時にこんなことを言ってしまう自分が嫌い。

多くの人は、嫌いな自分の方がすぐ浮かぶかもしれない。


最近思うのは、文章を書いている自分がかなり好きだということ。

それは机やパソコンに向かって

文字を書いたり、タイプをしている自分ではなくて、

文章を読んでいる時に、

それを書いている人として浮かび上がってくる自分のことだ。



 僕の文章 その書き主、はなし主。



彼は少し気取っているけれど、彼なりに素直に書こうとしている。


自分が書いた手紙や

ケータイで過去に人に送った文章を読み返していると、

それはなかなか無様で、カッコつけで、

トンチンカンなとこもあるけれど、

この男にはなんだか親近感が湧くなあ と思えてくる。



作家の村上春樹は、自分が奥さんと結婚できたのは

ラブレターを書くのが上手かったからだと言っている。


僕は物書きにはなれないし、

文章がすこぶるうまいわけでもない。



でも、口からは出ないことが字にはできたりする。



それが、いつも優しい姿をしているとは限らないけれど、

気持ちはいかようにでも変体するだろう。



自分を嫌いになってしまわないためにも、

自分が大切に想う人たちや物事への気持ちを字にしていこうと思う。






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最後に今日はその最初として、

自分が20歳になった時に投稿した日記を転載する。

2012年、誕生日の前日に書いている。大学2年生の暮れ頃だろうか。


ハタチのくせに、自分なりに10代の総括と20代に思うことを書いている。






投稿日時:2012-03-14 21:49


「十代、最後のメッセージ


10歳の時のことはあまり覚えてません。



何年生だったかなんて

さかのぼって計算する気にもなりません。




自分がティーンエイジャーだと意識していたのは

ここ数年の間だけでした。



とはいえ、たかが数字です。




今日の0時を過ぎたからといって


急に顔つきが変わったり、

スマートな態度になったりすることは

ないでしょう。




大昔の誰かが

決めたに過ぎない時間ですが、



私はここ数日間

ずっと揺れていた。





20代か。




誕生日がきて年をとったり、


新学年が始まったりってのは


何度も経験してるけど



この節目は初めてです。





やり残したことは

また明日からも出来るだろうけど


今まであまり感じたことのない


かなしさに包まれています。



ただ


まあ


生きてて良かったし、


人生はつづく。




素敵なおじさんと

仲良くなりたい



笑顔がかわいい

女の子を抱きしめたい



自分がし終えたことに

びっくりしたい



映画と音楽に愛されたい









そんな感じで 30代を迎えたい。










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